実際にあったアッと驚く成長を紹介

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年中クラスの時に来談。
承諾を得て、知能検査を行った結果、非言語的な推論を行う力が他の力に比べて有意に弱いということが分かった。
特に、視覚的な認知能力に困難さがあり、机上に出されたプリント課題への取り掛かりが難しい様子が見られた。
点線つなぎでは、点と点を線を描くことによってつなぐことができず、点が描かれていない箇所に描いてしまう。
著しく平面図形を捉えることが難しいようで、そこから運筆運動によって描画していくことができない。
さらに、定められた枠の中に描画を収めることが難しい。
生活では、学芸会の踊りの振り付けを練習する際に、担任が踊ってみせた姿を見て、自分も同じように踊って模倣するということが難しいようであった。
これらの難しさは、他の普段の能力と比べると、明らかな印象を受けた。
母親と面談した結果、本児にカフェオレ斑があるということを報告された。
母親や祖母も同じようにあり、遺伝的なものであるという。そのため、病院受診を勧めた。
医療機関にて頭部MRIを行った結果、頭部MRI画像の特に視神経に関連する部位に腫瘍のような、非常に小さな影がいくつも写っていた。
主治医曰く、サイズは大きいものではなく、これらによって生活に支障をきたすレベルで悪影響が出ているものではないとのこと。
そのため、医療機関においては問題なし、経過観察という結論をもらった。
その後、研究所スタッフから母親に対して家庭療育を提案。
半年以上の期間において、家庭療育を実行してもらった。
家では、日常的に絵日記や輪ゴムパターンボードを実施してもらった。
間違い探しや点線つなぎも数枚ずつ取り掛かるようにしてもらった。
その際には、必ず無理強いせず、本児が楽しみにできるように、楽しいと思えるような時間にしてもらった。
小学校へ進学後は、大きな問題なく学習を深めることができているとのこと。
ひらがなや漢字の書き取りでは、定められたマス目に字を収めて書くことができるようになっている。
書字の丁寧さ、形の正確さはやや難しいところがあるが、判読できる字を書くことができ概ね年齢相応の学習を進めていくことができている。

年中クラスの時に来談。
母親や担任教諭の話しでは、非常にこだわりが強く、先生やお友達を本児が言ったように行動させようとするとのこと。
例えば、目の前に置いてある椅子に座るようにお友達に強要し、その結果、お友達とのトラブルに発展してしまう。
先生に対しては、半年以上前のことを思い出したかのように何度も「ごめんなさい」と謝ることがあった。
家では、母親に何度も手を洗うように求めたり、朝、玄関から出るときに、母親が先に出るように強く求める。
母親は、児が発達障害であるかもしれないと心配していた。
研究所スタッフと相談の結果、近隣の医療機関へ受診することとなった。
そこで、受診したところ、小児期強迫神経症という診断を受けた。
この治療のため、医療機関へ通院することや園での生活改善、医療機関と園、研究所との連携を行った。
その結果、小学校進学後は、強迫的な行為を見せることはなく、家庭生活や学校生活にしっかりと適応している。
研究所から提案したことは以下の通り。
●園や母親に対して、発達障害と小児期強迫神経症の違いを説明した。
● 発達障害からの「こだわり行動」と捉えられていた行動を、強迫神経症の「強迫観念」「強迫行為」と捉え対応していくように求めた。
●母親や担任など周囲の人間は繰り返される「行為」にびっくりし、行為を制止しようとしていたが、生命や身体の危険に及ぶ行為以外は、行為ではなくそれを行おうとする「考え」「気持ち」を受け止めるように求めた。
●強迫行為に大人が巻き込まれて行動することが多発していたため、強迫行為の手伝いをすることはしないように求めた。特に、周囲はどう対応したら良いのかわからないまま、児に言われるがまま行動してしまうことのないようにした。
●強迫行為が実行されなくても物事は無難に進んでいくということを経験するように求めた。そのような状況に関しては、児に対して「~しなくても大丈夫だった」「上手にできた」ということを言葉で伝えていくように求めた。
●何度も行ってしまうことに対する本児自身の罪悪感や嫌悪感を大きくしないように、万が一強迫行為が始まっても周囲はあたふたしない、特に母親は自責感を出し過ぎないように求めた。

年長クラスの時にペアトレを受けていただいた。
母親は児のこだわり行動に困っていた。
帰宅して手洗いを行う際に、必ず母親よりも先に児が手洗いを行うことがルーティンになっていた。
また、母親が児の手洗いが終わるのを待つ間は、必ず玄関でまち、洗面所の扉は開けないようにと、児が強く求めていた。
母親は、そんな児の行動に対して非常にまじめに、危機感を抱いて捉えていた。
その背景には、「児が発達障害ではないか」という強い不安があった。
そこから、ペアトレを受ける中で、母親の児への捉えが変化していき、児の行動へ対して「かわす」「ユーモアをもって対応する」「困ったときは他者に頼る」ことが徐々に見られるようになった。
その結果、家庭での母子の関係性が変化し、児のこだわり行動も強固になっていたところが徐々に融通が利くようになった。家庭で過ごし方が変わり、その影響からか、園での生活にも余裕が出ていた。
ペアトレでは以下のことを提案した。
●ペアトレでは、児の行動を普段から「褒める(認める)べき行動」「減らしたい行動」「無くしたい行動」の3つに分けて捉えるようにした。児の行動に対して一貫した基準をもってして関わるようになったため、児としても自分の行動の許容範囲が理解しやすくなった。
●児の行動の背景、心理的な課題なのか、認知特性からくるものなのかをひとつひとつ説明した。母親に児の行動をリストアップしてきてもらい、それに対して解説文章を作成し、書面にて共通認識を図った。その結果、母親の中で指導・注意すべき行動と、見守ったり対応をしたりすべき行動を明確にした。
●児のすべての行動に、真正面から真剣に向き合っていた母親の姿勢は、大切なものであるし児への愛情の裏返しである。ただし、真剣過ぎることで母親の捉えにも余裕がなく、児の行動ひとつひとつに課題意識を持っていたため、適度な向き合い方を模索した。毎日「親子タイム」という時間を1日10分だけ設定してもらった。その時間は、本児の好きな遊びを行う、必ず母親はその遊びに追従する形で参加する。児の生命や身体に危険が及ぶような余程なことでない限り、遊びを展開できるようにした。
●児のこだわり行動に対して、「指導する」「注意する」「制止する」という対応だけでなく、努めて、「かわす」「ユーモアをもって対応する」「困ったときは他者に頼る」という対応をするように提案した。微笑んだ表情を作る、声のトーンを笑った調子や柔和や調子にする、冗談を取り入れて返答することを提案した。

年少クラスに在籍している時に来談。
音などの聴覚刺激に対してや、心理的な負荷に対して過敏さを持っていた。
元々、2歳児クラスでは担当教諭と研究所スタッフの連携の中で、児に対して個別対応をしていき、安心感のある保育活動を設定していた。
そのため、概ね集団において適応できていた。
年少クラスに進級すると、より一層、集団生活が求められるため、本児にとって負担が増えた。
園生活では、ほとんど課題がなく、担任教諭の指示や説明を理解し、適応できていた。
しかし、ひとたび帰宅すると母親に対して無理難題を言い、聞き入れてもらえない状況に対して泣き叫ぶ。
部屋中の物を投げ散らかし暴れ回る様子であった。
困り果てた母親は研究所へ相談した。
そこで、本児と母親、研究所スタッフにより、アートセラピーを行う場を設けた。
その結果、情緒の安定へ改善し、家で落ち着いて過ごすことができるようになり、母親に無理難題を投げかけるような行動は減少した。
また、在籍しているクラスの担任教諭に対して研究所スタッフからコンサルテーションを行い、本児に対して簡単な声かけを行うように提案した。
過度に個別的な対応をすることは児にとって逆効果であり、負担をより大きくすると考えられたため、適度に目は話さずに、よほどうまくいかない時に個別で声をかけて対応していくようにしてもらった。
半年ほど経つと、過剰に適応しようとしていた様子から、あまり無理をしないで過ごす様子が見られた。
表情にも笑みが見られるようになり、年齢相応に無邪気に楽しむ様子が見られるようになった。

首が右に固まっている。
睡眠時間が十分に取れず、1時間半ほどですぐに起きてしまう。
夜泣きが多く、母親はその都度対応をしなければならなかった。
園で過ごしている日中も、寝不足のため、覚醒水準が一定ではなく、食事もままならない。
泣いていることが多い。そこで、担当教諭が研究所スタッフに相談した。
児を観察した結果、不随意運動の傾向があると推測された。
そのため、外部からの感覚入力をして刺激を与えることを目的に、ベビーマッサージを行った。
左右の足を優しく無理のない範囲で「イチ、ニ、イチ、ニ」と空中を足踏みするような動きをしてもらった。
かかとの裏をもち、ひざを持って、過分な力が入っていないか、入らないように気をつけながらマッサージを数分行った。
すると、その場で児の身体の自発的な活動量が増えた。
首を左に回し、左側にいる人を見て確認しようとするそぶりが見られた。
そのため、担当教諭に対して、スタッフが行った数分のマッサージを毎日1回行うように提案した。
1か月ほどの期間を継続してもらった結果、首が左に回るようになり、睡眠時間が4時間半は続くようになった。
また、一度起きても、その後さらに同じくらいの長時間睡眠がとれるようになった。
さらに、食事量が増え、自発的な活動量が増えた。

幼児期になり、児に対してどのようにかかわったら良いのかわからないと、母親は研究所に来談。
乳児期では、母親の言うことを聞かなかったり、自分のこだわりが強く、非常に育てにくく、児と一緒に外出することが億劫になっていたとのこと。
そのため、外出はあまりせず、家にこもって過ごすことが多かったという。
幼児期になると、日ごろから、落ち着きがなく、クラスの集団活動では状況にそぐわない行動が多発していた。
そんな児は、叱責や注意を受けることが多く、担任教諭に対して反抗的な態度をとることが度々あった。
また、児自身が園に登園することを嫌がる日が出てきたり、英語の時間を嫌がるような行動が見られるようになった。
そこで、研究所から個別療育を提案した。
母親は快諾し、月2回程度の頻度で個別療育が開始した。
2か月で効果が出始め、まず登園や英語の時間を嫌がることが全くなくなった。
児の精神的な安定が図れたようで、母の前でわがままを言ったりして母を困らせることがなくなったようで、育てやすいという印象を受け「別人のように変わった」と話した。
また、園では製作活動の時間に何かうまくいかなかったりつまらなかったりしたときにクラスから飛び出すことがなくなった。
一斉活動の際に担任から児たちに感想を尋ねると、児は自分から手を挙げて自分の思いを話せたという出来事が初めてあった。
特定の男児としか遊べず、活動もその児が隣に座らないと不満を見せていたが、他の女児(同性)と遊ぶようになり、遊びの内容が女の子らしくなった。
個別療育では、以下のことを行った。
●個別療育では、特定の女性の担当教諭がマンツーマンで活動した。担当制であるため、児に関わるのはその担当教諭のみという環境を作った。
●療育の中では、基本的に「指示」「注意」「指導」はしないということに努めた。活動を行うためのアイテムをいくつか用意し、常に児が何をするのか、どこまで行うのかを自己決定するように支持した。あらかじめ、時間と場所を限定して行っており、それを児に伝えているため、療育活動は設定された枠組みの中で守られた形で、児が意思を表現できるようにした。そのため、特定の大人と、安定した情緒的なつながりを結ぶことになった。普段は逸脱行動に対して叱責を受けることが多く、その都度、児は反抗的な態度を示していたが、それによって傷ついた心理的部分をある程度回復し、自尊感情を高められたように思う。
●用意した療育活動が児にとって難易度が高いため遂行することができない場合があった。その場合は、その時には無理強いせず、できるところまで行い、次回の活動では、児が楽しんで取り組めるような、難易度を下げた課題や、別手段で同じ能力を磨くような課題を必ず用意するようにした。
●手先の不器用さが普段の中で確認されたため、楽しみながら手先の器用さが求められる課題をできるようにした。プリント学習を通して、書字を繰り返した。書字を行うためには、手先の器用さが求められるため、徐々に上達せざるを得ない状況になった。
●また、プリント学習の中で、唯一全くできない課題を確認することができた(点線つなぎ)。どんなに難易度を下げても十分に行うことができなかったため、視覚的な認知力に課題があることが新たに推測された。そのため、まずは書字の要素を取り除き、活動全体の難易度を下げた、「輪ゴムパターンボード」を用意した。
●視野が狭いところがあったため、周囲を「見渡す」ことが習慣化されておらず、状況理解の悪さ、つまり空気の読めなさや場違いな行動につながっていると考えられた。そのため、A4サイズのプリントを模造紙に拡大し、児の身体よりも大きなサイズで取り掛かることができるようにした。その結果、課題に取り掛かる際に、対象を見渡すことが求められるようにした。
●模造紙サイズに拡大したことにより、手先だけを動かして活動するよりも、腕や肩、体幹を使った活動に切り替わり、運動機能にも大きく働きかけられるようになった。その結果、課題に取り組む際の児の集中水準が高まった。また、体幹を保ちながら取り組む必要があり、体幹の弱い児にとっては効果的な活動になった。
●集団活動の中では、担当教諭が横についた状態で、クラスの集団活動に参加した。何かうまくいかなかったりつまらなかったりしたときにすかさず担当教諭が対応できるようにした。そのため、児の集中水準は一定の高さが保たれるようになった。

家庭において宿題をできない。
一度取り掛かると、すぐに遊びだしたり、何時間もダラダラ取り掛かる。
困った母親は研究所へ来談。
男児は知能検査を受けることになった。
検査の結果から、「同年齢集団における平均的な水準の知的能力を持っている」「状況理解や空気を読むなどの、非言語的な推理力が弱い」「ワーキングメモリーには大きな支障はない」「マイペースなところがある」ということが解釈できた。
そのため、母親に対して「時間での指示出しを量での指示出しにする」ことをした。
その結果、児の宿題へのやる気が向上した。
それまで「○○時まで宿題をやりなさい」「まだ終わってないの、お風呂入る時間がなくなるよ」「もっと早くやりなさい」と叱責をすることが非常に多く、児も叱られることが多かった。
そのため、やる気をなくしていたが、「今日は〇〇問やって、終わったら見せて」「あと3問やったらお風呂入ろうか」と具体的に問題の数、宿題の量で伝えるようにしてもらったことで児の分かりやすさ、精神的負担が減った。
そこから、母親も叱責することが減少し、家庭環境も改善され、雰囲気が良くなった。
学校では、宿題の提出をきっかけに、持ち物の管理ができるようになった。

年少クラスで来談。
片方の目がほとんど見えておらず、視覚的な認知に遅れと偏りが生じていた。
その結果、手指の巧緻性や、両手の協応能力の発達に遅れが生じており、衣服の着脱、食事や排せつの自立の獲得に支障が出てきていた。
さらに、そんな影響を受けて、自尊感情が損なわれ発言量が少なくなったり、朝、登園することも嫌がることが出てきた。
研究所スタッフと、児の担任教諭と協力して、療育的な支援を行った。
その結果、進級し、年中、年長は大きな課題もなく過ごすことができ、時間を要するが身辺の自立ができた。
ボタンの外したりかけたりすることが一人でできるようになった。
制作活動では、左手に紙をもって、真っすぐや曲線状に、はさみで切ることができるようになった。
食事の際、お箸を使ってこぼすことなく食べられるようになった。
担任との連携では、以下のことを試みた。
●対象物を身体の正面に置くのではなく、利き目の前に置き、利き目の前で作業できるようにした。
●利き手が定まる前であったので、見えていない(見えにくい)方の手を作業の支えとできるように、利き手を意識した声かけをおこなった。
●机上の課題に関して、支えができない作業ではゴム製のすべり止めや、布を敷いてサポートを行い、作業の遂行の難易度を易しくし、「できた」と本児が思えるような成功体験を増やした。
●「できた」を繰り返すことで少しずつ、スモールステップで難易度を上げてできることを増やした。
●運動活動では、地面や遊具などで遊ぶ前に、手で触ったどんなものかを確認できるようにした。触覚からイメージできるようにして、空間認知能力の活性化を促した。
●対象物と目との距離に注目して調整することを提案した。特に、両目を働かせ、奥行を正確に捉えた距離感が生活の中でのスタンダードになっているため、本児に適した距離をできる限り常に模索するようにした。
●また、この本児に適した距離を自分でも見つけられるように声かけをして習慣作りを行い、セルフコントロール能力を磨いた。

2歳児クラスで入園し、研究所へ来談。
典型的な自閉傾向を持つ。
入園当初から集団生活に全く馴染めず、部屋から飛び出すことが毎日であった。
2歳児クラスの中での集団活動には全く参加できず、部屋から出ていき興味のある所へ探索しに行くか、部屋の中の隅でおもちゃで一人遊びをすることが多かった。
研究所スタッフは、児の行動観察を実施し、その後、保護者との発達相談を行った。
保護者曰く、「1歳半ごろから地域の医療機関に通院している。そこでは発達検査を受けて、年齢よりも1歳ほどの遅れがあると言われた。その後、作業療法を受けるための順番待ちをしている段階である。」とのことであった。
そこで、研究所スタッフから担当教諭へ環境整備や療育的な方法を提案した。
年少へ進級後は、担任教諭と連携を取りクラスの環境整備を行った。
その結果、年中へ進級後、大きな不適応行動を見せることなく、適応しながら集団生活を送り、年齢相応に様々なことの学習を深めた。
具体的には、朝の会の時間、みんなと同じように列に並び、一斉指示を聞き理解して、行動できるようになった。
皆と一緒に合唱をする姿が見られた。製作活動では、一斉活動の中で参加することができ、課題に取り掛かったり、上手にできない場合は自分から先生へ「できない」と伝えられたり、近くの他児の行っている様子を見てそれを真似ることで取り掛かりを進められたりできるようになった。
結果として、年中の年度初めにかかりつけの医療機関を訪れた際には支援員から「全く別人のようによくなった」と言ってもらえたとのこと。
相談の中で担当教諭や母親へ提案した内容は以下の通りである。
●2歳児クラス在籍時では、個別対応の中で、本児の遊びに担当が参加していくようにした。他者から始まった遊びに参加することはないため、本児が始めた遊びに他者としての担当教諭が参加することで、遊びの世界を共有することを求めた。さらに、言語によるやり取りを行うではなく、例えば、車で遊んでいたら、担当も車のおもちゃを走らせて、並走したり追走したりと遊びの中に馴染んでいくように参加するようにした。
●2歳児クラス在籍時では、過剰にスキンシップ、身体接触を行わないように制限をかけた。泣き出したり、嫌なことがあったりしたらすぐに抱っこをしてもらえる習慣があったため、本児自身が求めてくるまで大人側から抱っこしないようにした。
●年少クラスに進級後は、本児から抱っこを求めてきてもよほどのことがない限り応じず、その場で励ましたり、別の楽しみを提案するなどして、言葉によるやり取りのみで情緒を安定できるようにした。
●2歳児クラス在籍時では、部屋の中に本児のスペースを作った。精神的に落ち着かず気分転換を要するときには、そこで過ごせるようにした。
●2歳児クラス在籍時では、本児が他者を模倣する力の発達を促した。リズムにのって身体を動かすことが好きであったため、その際には本児だけでなく、大人など他者が同じように身体を動かし、本児と他者が同じ動きをするということを繰り返した。
●2歳児クラス在籍時では、母親を支えにしているところがあったため、タオルや衣服に、母親の顔写真をプリントし、それを見て情緒的に安定が図れるようにした。
●2歳児クラス在籍時では、集団生活での不適応により、様々な認知能力の向上を図った。パズルやかたはめ遊びを行い、図形に対する視覚的な弁別能力の発達を促進した。
●年少クラス在籍時では、どうしたら良いのかわからないときは「ことばで先生に伝えたらいいんだよ」と伝え、言語的な表現を行うことを求めた。非言語的な表現を行い、それを他者がくみ取ることで、本児の意がくまれるという状況は極力避けるようにした。
●本児が援助を言葉で求めたら必ず援助をした。それを繰り返した。そうすることで、困ったときには他者を頼る、言葉で表現し援助を求めることを習慣化した。

2歳児クラスで入園、研究所へ来談。
入園時から言語発達が遅い。
「ママ」「マンマ」「ブーブー」などの喃語は出ていたが、二語文の表出までは発達していなかった。
児にかけられる言葉への理解では、名前を呼ばれると振り向くことはできていたが、動詞を用いた二語文の表現を理解することが難しかった。
父親は夜勤のある仕事をしており、母子とすれ違う生活をしていたため、言語的なコミュニケーションを行う機会が日常的にほとんどとれていない。
母親は、児と二人きりの生活を行っていた。
育児に関しては一人目の子どもということで慣れておらず、育児の手ほどきをしてくれるような存在は身近にいない。
母方の祖父母は遠方に住んでいた。
言葉の発達が明らかに遅れているため、担当保育教諭から母親に、研究所へ相談するように提案があった。
その結果、母親は承諾し、研究所に来談した。
研究所では、児に対して発達検査を行い、発達水準を客観的に評価・分析した。
その結果、言語の遅滞があるが、いわゆるこだわり傾向など発達の偏りと呼ばれるものはさほど大きくないと見立てられた。
そこで、母親へ発達相談を提案した。
相談の中では、普段の母親の子育て、児を取り巻く家庭環境に関して聴き取りを行った。
そして、聴き取りを行った内容に対して、児を取り巻く環境の整備を行うための助言・アドバイスを行った。
2か月の環境整備、生活指導によって、すぐに言葉の表出が見られ、生活の中の適応水準が改善した。
はじめは、手や腕の働きに左右差が生まれた。両手の協応運動が上手にできるようになった。
そこから、「コレ、チョーダイ」「コレ、タベル」「ママ、コッチ」「ドウゾ」といった言葉を場面に適した使い方ができるようになった。
また、母親など周囲の大人が言っていることを理解できるようになった。
家庭療育では、以下のことを提案した。
●利き手が定まっていなかった。そのため、利き手を確立できるよう助言した。具体的には、食事の際に、児に対して右手と左手を使うような環境を整えるようにした。児の食器は、乳児用のものを使用していた。お皿の底がシリコン状になっており、机の上を滑らないような細工がしてあるものであった。そのため、児が片方の手でスプーンやフォークを使用するだけで事足りる状況があった。また、機嫌の悪い時には、母親が食べさせていた。そこで、食事の際は、「右手でスプーンを持って…」「左手はお皿ね」といったように、簡単な声かけを毎回行うように提案した。その際は必ず起こったような口調ではなく、穏やかな口調で言ったり、ユーモアのあるセリフで声をかけるように提案した。また、スプーンなどを児へ渡すときは、必ず、右手のほうへスプーンを置いて渡したり、スプーンの持ち手を右側に傾けて渡すように提案した。手や腕の粗大運動や微細運動はある程度発達していたため、すぐに両手の協応ができるようになった。
●言語面に関しては、テレビを見ないようにしていたため、児の好きな番組を時間を決めて見るように提案した。キャラクターが子ども向けの童謡を紹介し、音楽に合わせて踊るという教育番組であった。そのため、番組を見ながら、簡単でいいので、その踊りを親子でマネをして踊ってみるように提案した。毎日数分ではあるが、番組をみて踊ることを楽しむようになり、それが日課になった。

2歳児から入園。
主訴はマイペースさ、全般的な幼さ。
母親はとても熱心に子育てをしており、数人の専門家に些細なことも相談をしているとのことであった。
児はもともと発達がゆっくりであったため、継続的に発達相談を行っていた。
2歳半ごろから急に言語発達が進み、簡単な応答が可能になった。
年少クラスに進級し3か月経った頃、吃音症状が確認されるようになった。
「こーーーれーーー」といった伸発の状態。こういった症状を見た時、少し異様さを感じるほどであった。
母親は非常に心配し、そのような状態になっている児に対して「それで?」「どうしたの?」と立て続けに質問を重ねたり、何度もうなづき、言語的にも非言語的にも吃音状態によって言葉の操作に苦心する児に対して、さらに急かすような対応をしてしまっていた。
そのため、研究所スタッフは、母親の不安な気持ち、児への期待や心配といった心理を聴き取り受け止めつつ、家庭における児への関わりを修正していった。
9か月の継続的な相談の結果、その間、児の症状は波現象を見せる中で徐々に改善していった。
●外部の言語聴覚士の指導を受けつつ、研究所スタッフは児に対して言語発達の評価(アセスメント)を行った。その結果、吃音症状自体は、軽度と評価した。そこで、言語面へのアプローチよりも心理面でのアプローチを優先した。心理面でのアプローチを行い、アプローチによる改善が確認できなかった場合、言語面に対するアプローチを行うこととした。
●児の心理面に対するアプローチとして、園と家庭にてそれぞれ時間を決めて受容的な関わりを行った。特に、園では担当教諭とは別に担当スタッフを選び、受容的な関わりを行う場所や時間を設定し、実施した。また、家庭では、母親が児に対して受容的な関わりを行うことができるよう、具体的に接し方を提案した。
●また、母親は無自覚の中で、児に対して詰問のような問いかけ方をしてしまっていた。日ごろでは、児の行動を先回りした細かな指示や注意を行っており、これは母親も自覚していた。そのため、児に対して尋ねる際にどのような問いかけが良いかを共に考え、その接し方を何度かロールプレイングを行った。そして、日常場面でそれが実践できてるか、モニタリングを行った。
●母親の心理的な側面に対しては、心理師が、心理カウンセリングを行った。児への期待や心配の背景には、どんな理由があるのか、母親自身の体験に基づいた思いが大きく、それを丁寧に傾聴し、共感的な理解を行いつつ、思いが強いがゆえに本児の心理的負担をかけるような関わりを修正した。

2歳児にて入園。男児。
言葉の発達が遅い。
心配した母親は研究所へ相談。
そこで、男児に対して発達検査を行うこととなった。
検査結果は、2歳4ヵ月時点で、全領域の発達の水準はDQ:86(2歳0か月相当)、特に言語に関する発達の水準はDQ:76(1歳9ヵ月相当)であった。
コロナ禍ということがあり、入園前の期間はほとんど家から外出することなく、ほとんどを母親と共に2人で過ごすことが多かった。
父親は多忙で、帰宅時間が遅く、出勤時間も早い。
そのため、児と関わる大人は主に母親で、主に2回程度、オンラインで遠方の祖父母と顔を見せ合う程度であった。
明らかに言語の発達が遅れてしまっていることを確認できたため、言語発達を促すようなことを母親に提案し、家庭療育を行ってもらえるように要請した。
1か月半ほどで、自分の名前を言えなかった為、最初は一文字ずつ発音を教え、名前を一文字ずつバラバラに言っていたが、徐々にそれが繋がり、夏休みの後半くらいから、名前を言えるようになった。
また、先生が「お名前なんですか?」と聞くと、自ら名前を答えられるようになってきた。
動物(イラストや絵)などは鳴き声やジェスチャーなどで認識していたが、動物の名前をその都度伝えることで、うさぎのジェスチャーだったのが、「これなに?」と聞くと、「うさぎ!」と答えられるようになってきた。
園生活のルーティーンを少しずつ覚え、先生の指示も理解できることが増えた。
例えば、ランチ後、先生が「お口拭こうね」と伝えると、自分でお口拭きタオルで拭けるようになった。
朝のご用意では、「次どれ出す?」などの声掛けをしてあげると、自ら進んでカバンからコップなどを出し、カゴに入れることができた。
以前は、できないことがあったら、自分ではやろうとはしなかったが、着替えやランチ袋を開けるなど難しい事にも挑戦しようとする意欲が見られるようになった。
●視覚優位な傾向と手先の作業を好む趣向から、発語の際に「型はめ遊び」「文字カード」の使用を提案した。特に、例えば、「リンゴ」に関して、「リンゴのイラスト」が描かれているカードはたくさんあるが、そういった定番のものは使用せず、「リ」「ン」「ゴ」といったように、3つの音に対応するように3つの文字を並べて言葉の学習をするように提案した。本児の場合、「リンゴという言葉」と「リンゴのイラスト」は一致して理解できていることが多く、語彙は概ね獲得できているため、発語、文字の構音を「文字カード」を使用して獲得することが望ましい。
●絵本を見せながら読みきかせを提案した。他者の話を聞く態度や正しいことば使いや話し方を身につけることを目指した。話しことばをはじめとして、具体的な言語的思考などの発達を促す。1ページごとに絵を見せながら話全体の筋をたどれるように、ゆっくりと読むようにした。
●テレビなどを全く見せない状況であった。そのため、一日数分と決めて、その時間は見ても良いということにしてもらった。教育番組が好きなようであったため、その番組を見ることを日課とした。番組のキャラクターが童謡に合わせて踊ることが好きなようであった。そのため、お母さまも一緒に児と踊るようにしてもらった。みんなと一緒に音楽に合わせて身体を動かすことはとっても楽しそうで、本児も気に入った様子であった。

7歳、女児。
インターナショナルスクールに在籍。
言葉の発達が著しく遅い。
学校における不適応行動が多い。
成績が良くないため、女児の兄や学校の担任が教えているが、全く進歩を感じられない。
母親は、女児の様子をまるで発達障害みたいであると心配していた。
心配した母親は女児を連れて研究所へ来談した。
研究所の心理師は、母親へ聴き取りを行った。
母親の母語は中国語。父親の母語はフランス語。
家庭の中では、母親と父親は中国語とフランス語の2か国語を話せるため、夫婦間の会話はその2か国語であった。
また、女児には3つ上の兄がいるが、兄弟間や両親から兄妹に対する会話は主に英語となっていた。
学校では、英語の使用が基本となっていた。女児にとってこの言語環境が5年前から続いているという。
そこで、心理師から、女児を取り巻く言語環境を可能な限り1つになるようにするように提案した。
言語を1つにすることで、その言語の獲得を目指し、その言語をベースとして論理的な思考の獲得を目指した。
2年ほどの期間を経て、英語を獲得し、自分の意思を英語によって表現できるようになった。
大人との論理的なやり取りは困難であるが、簡単な日常会話であれば難なくできるようになった。
そこから、学習も英語によって理解を進め、概ね年齢相応の教育課程を理解できるようになった。

2歳児、男児。
家にて、テレビを見たり眠たくなったりすると、ソファーのひじ掛けに上半身だけよじ登り、浮いた下半身を前後に動かすという行動が、最近よく行われるという。
また、その姿勢のまま、足で床を蹴り腰のあたりを視点にしてシーソーのように上下運動をしていた。
傍から見ると下半身を動かしているようで、まるで性的な印象を受け、非常に心配になると母親は話した。
また、さらに話を伺っていくと、母親は課題意識を持っていなかったが、転ぶことが多かったり、自分の身体のサイズを分かっていないのか狭いスペースに勢いよく向かっていき、ひざや腕などをよくぶつけ青あざを作っているようであった。
コロナ禍により、ここ数か月野外活動をほとんどしていないという。
元々就学前の施設にも通っていない。
相談を受けた研究所スタッフは、確認された課題行動は、下半身の前庭覚や固有覚に対する感覚探求運動であると見立て、それを補うような感覚運動遊びを提案した。
例えば、家の中にトランポリンを購入し設置してもらった。
また、最初は母親が児の手を取り一緒に跳んだり、跳ぶ姿を補助したりするように提案した。
また、本児の兄と一緒に何回跳べるかを競い、ゲーム感覚で遊べるようにした。
3か月間続けてもらい、リビングでの日課となっていた。
その結果、母親が心配する課題行動は全く確認されなくなり、母親は安心した様子であった。
また、母親は問題意識を持つことはなかったが、ボディイメージの形成の促進などにつながり、運動能力は向上した様子であった。

3歳児から入園。男児。
強いこだわり傾向があり、母親は手を焼いていた。
また、感覚の過敏なところがあり、強い偏食があった。
食べられるものは、白いご飯や牛乳、独特の風味の少ない特定のチーズなど色味が白っぽいものや風味がないもの。
それ以外の物は口に入れられても、咀嚼することなく吐き出してしまっていた。
着ている服が汚れることも極度に嫌がり、食事の際に服が少しでも汚れることがあると、すぐに着替えようとした。
日常生活の中でも衣服の汚れを敏感に気にするという様子は確認された。
心配した母親は近隣の小児科医に相談した。
そこでは、「年齢に比べると体重や身長が伸び悩んでいる。
強い偏食が成長にブレーキをかけている可能性がある。」と指摘を受けた。
そのため、母親は研究所へ相談。強いこだわりや偏食行動に対してどのように対応していくと良いのかを話し合った。
いくつか提案したことを約半年間継続して、家庭の中で行っていただいた。
その結果、成長曲線の平均の範囲の少し下程度のところまで、徐々に体重と身長が増えていった。
固形物を食べられる、口に入れて咀嚼するというところまでは困難であったが、結果的に摂取することはでき、その種類の幅は格段に増えた。
●まず、食べられるものをリストアップし、食べられるものと食べられないものを明確に整理していった。
●食べられるものに対しては、どの程度まで加工しても食べられるのかを日々試し、明らかにしていった。
●その結果、色や風味だけでなく、固形か液体かという状態、咀嚼するときの歯や顎で感じられる感触も大きく関係していると推測された。そのため、ミキサーやジューサーを使って液体にすることで、「食べる」ことよりも「飲む」ことに変換していった。その際には、風味などの調整も行った。
●また、夕方など、食事と食事の間に空腹を満たすため、スナック菓子を食べることが多かった。そこで、間食の量をなるべく少なくしていくように調整を提案した。
●食べる物に対して、夏休みなどでは、時期の野菜を収穫する体験を行ったり、自分で「育てる」「収穫する」「調理する」などの「食べる」以外の体験を行った。そして、食べられない物に対するネガティブなイメージを変化できるようにきっかけ作りを行った。
●日夜行っていただいていた「絵本の読み聞かせ」の中では、「食べる物」「野菜」「麺類」などをテーマにした面白そうな絵本を複数冊用意し、その中からその日児が読んでほしいものを選んで読み聞かせが行われるという状況を設定した。

5歳児、女児。
ひらがなが読めない。
1歳下に弟がいた。
女児が年長になっても絵本の文字が読めないにもかかわらず、弟は年中になり絵本を読んでいた。
その姿をみて、心配になったご両親は、研究所へ相談した。
発達検査を実施したところ、全般的な発達水準に大きな遅れはなかったが、視覚的な認知能力に関してはやや困難さを示した。
一方、聞いたことを理解することは年齢相応の水準でできていたし、手指の巧緻性を必要とするような細かい作業の遊びは好きな様子であった。
そのため、研究所では、在園環境の中で担当教諭と連携を行い、文字の理解への支援を行った。
その結果、概ね年齢相応の絵本を少しずつ読むことができるようになり、弟と絵本を読み合う遊びを家庭で見せるようになった。
●文字に触れることを提案した。何色もの粘土を用意し、まずは自分のお名前をひらがなで作るという遊びを行った。一文字ずつ粘土で文字を形作り、文字の形への認識を五感を通して認知していくことを目指した。自分の名前ができると、次は絵カードを用意し、カードに書かれているものの名前を作る遊びへと展開していった。
●二次元の形の認知能力を磨くということで、輪ゴムパターンボードや点線つなぎなどの机上課題を行った。学習を強要していくことがないように、たくさん遊びの選択肢を集め机上に用意して、児が好きなタイミング、自分の意思で選ぶことができるようにした。最初は、物珍しさに手を付けたが、やり始めると面白くないという様子であった。しかし日を改めると、児が自らそれに取り掛かり興味を示した。

年長児クラス在籍時に研究所へ相談。男児。
母親の主訴は、「児に知能検査を受けてもらいたい。日常生活の中で理解しているのか分かっていないのか、よくわからない時が多い。声をかけても反応が少ないため、確認しにくい。マイペースさが強いため、毎朝の慌ただしい中時間通りに行動することができない。」とのことであった。
さらに聴き取りを行うと、ご両親共働き家庭であって、お父さまもお母さまも非常に忙しくされている印象であった。
強く急かしたり、叱責を繰り返すことで、児は時折、癇癪を起こしたり、母親に対して叩いたり蹴ったりすることが起こっていた。
また、児が普段在籍しているクラスの担任教諭に児に関することの聴き取りを行ったところ「マイペースな子。集団生活についてこれていない、少し幼い子。」という説明を受けた。
そこで、児に対して知能検査を実施した。
その結果、知能の水準は軒並み「高い」水準であり、同年齢集団の中で上位10パーセントに入るほどの水準の認知能力を発揮した。
ただし、認知処理を行うスピードに関する指標では、同年齢集団において「低い」水準であった。
他の検査指標も存在するが、総じて、いわゆる「高度なレベルで論理的に思考したり理解したりすることができるが、いろいろなことで人よりも時間がかかる」といったことが解釈できた。
そのため、検査者からいくつかの提案を行った。
約1年後には、児に対する周囲の捉え方が徐々に変化し、叱責する回数が減った。
児のマイペースなところは大きく変化していないが、母親に対する叩く、蹴るといった攻撃的な行動は一切見られなくなった。
●検査結果から、理解に関しては大きな課題はなく、マイペースさ、スピードの遅さが大きな原因になっていると推測した。そこで、生活の中で難しい時も多いが、可能な限り、余裕のある時間設定を行ってもらえるよう提案した。毎朝のルーティンに関しては、前日の夜の過ごし方が不規則であったため、整理して就寝時間を早くしてもらい、翌日の起床時間を30分だけでも早くしてもらった。また、着替えや登園の用意などは、前日の夜に児と母親が協力して準備できるようにした。
●高い水準の認知能力を持っていた。特に、ブロックやパズルなど、組み立てる力、空間認知能力、手指の巧緻性が非常に高く、本児自身も得意であると自覚していた。そのため、がんばって作ったものを両親はちゃんと見て褒める、認めることをするように提案。また、父親が写真好きということもあり、児の作品を写真におさめるようにしてもらい、アルバムなどを作って、評価していくという習慣を作れるようにしてもらった。
●園生活や家庭生活の中で、「本当なら正しくやり通すことができたが、時間がないがために取り掛かり途中でストップがかかり、結果としてできなかったことになってしまう」ということを極力避けるように提案した。正しく最後までできる力があるものは、できる限り時間で区切らず、最後には「できた」「やり通した」「完成した」という体験になるように環境設定を求めた。

2歳の時に入園。男児。
母親は児に対して強い期待を持っていた。
学習に困ることがないように習い事をたくさんしていた。
また、土日も水泳や野外活動など、身体を動かして体験できる活動を予定しており、休日に休みという習慣がなかった。
家庭にいるときは、宿題があるようで、学習をしているようであった。
簡単なことがうまくできないとき、母親は児に対して強く叱責をし、時には手をあげてしまうことがあった。
そのため、市の児童相談所の職員が定期的に児の家庭へ訪問し支援をしている状況であった。
児は、イライラが募る様子が多く見られ、手や足の爪噛み、眉毛を毟る、指先の皮をめくるといった行動が常習化しており、爪は常にない状態であるため爪切りをする必要がなかったり、手指がひどく荒れているほどの状態であった。
そこで、研究所に、児が在籍している園の担当教諭から相談があった。
そこから、研究所スタッフが母親と面談。
定期的に発達相談を行うこととなった。
半年間継続したが、なかなか変化はなく、その間、近隣住民から児童相談所への「児童虐待の疑い」の通報が2回あった。
年少へ進級したころ、母親は父親と離婚。
家庭では、母方の祖母が遊びに来ることは週2日ほどあったが、ほとんど母子で生活することが多くなった。
そのため、園の担当教諭や管理職は定期的に家庭訪問をするようになった。
また同時に、研究所スタッフも週1回の訪問相談を実施した。
その中では、児や母親、担当教諭を含めて小集団遊びを行い、母親との過ごす時間を少しでも児の楽しめるものにしようと目指した。
また、母親に対しては定期的に発達相談を行い、児に対する期待の強さ、母親の教育観、児が課せられた課題の多さとそれに対する児の様子を丁寧に確認し、共通認識を行っていった。
その中では「ペアレント・トレーニング」に類する内容を実施した。
長期にわたり、関係者の連携に基づいた相談関係の構築や、研究所としては発達支援を行い、卒園の半年前の時期には、爪噛みや抜毛、指先の皮をめくるといった問題行動は見られなくなり、他の異常行動も見られなくなった。
元々、母親の、児への要求水準の高さの背景には、母親が幼少期の頃、実父が「私立受験」を強く勧めたり、有名国立大学へ進学した兄と比較して母親を責め強く励ますといったことを、母親自身が心理的負担に捉えるほど行っていたということもあったように推測される。
虐待を疑うような行為に関しては、児が小学校へ進学する時期を境に減っていった。

2歳児クラスの時に研究所へ相談。男児。
母親と、児の担当教諭が一緒に相談。
母親曰く「児の育て方が分からない。」とのことであった。
母親へ、現状やこれまでの経緯を確認したところ、児が生まれてすぐの健診で相談員から「この子は育てにくいかもしれないね」と言われたことが気になっているとのこと。
元々母親は出産前に、いろいろな心配をためこむところがあり、時折うつ症状を見せ精神科がかかりつけ医になっていた。
出産後、自分が子育てができるのか非常に心配であった。
出産数か月後の健診では、児を相談員に見てもらい、母親自身の心配や不安を話したが、受け止めてもらえなかったという。
その時期くらいから、うつ症状が強くなり、子育てができなくなり児を抱き上げることがほとんどなくなった。
代わりに父親が児への子育てを行っていた。
父方祖父母、母方祖父母ともに、遠方に在住のため、父親がほとんど一人で独学で児に対して頑張っているという。
ご両親の承諾を得て発達検査を実施した結果、3歳1か月時点で、発達の水準がDQ75(およそ2歳4ヵ月相当)であった。
そこで、心理師による母親への心理カウンセリングを行いつつ、父親とも発達相談を行い、児への関わり方や近隣地域の活用できる子育てに関するリソースを整理し確認していった。
すると、徐々に児への子育て環境の改善が見られ、数か月をかけてゆっくりと、父親単独の子育てが両親で協力しての子育てに変わっていった。
児の園での様子もみるみる改善し、概ね年齢相応の振る舞いや、課題への取り組みをできているという印象が見てるようになった。
そこで、ご両親の承諾を得て、再度発達検査を実施した。
4歳10か月の時点で、発達の水準はDQ98(およそ4歳9ヵ月相当)となった。
本児自身の特性はもちろんさほど変わらずあるままであったが、園での集団生活に支障をきたすレベルではなくなり、お気に入りの友人と一緒にいろいろなことができるようになっていた。
2回目の検査の結果を確認し、ご両親、特に母親はより一層前向きに子育てに参加できる機会が増えた。

3歳児、女児。
母親曰く、わがままが強い。
言葉がなかなか発達していないため、言葉で説得しても無視をして自分のしたいことをすることが多く、子育てに困っている。
また、同じ年の子どもと遊ぶことが少なく、休日にお友達と一緒に遊びに行っても、自分の遊びに没頭することが多い。
所属する園の担当教諭は母親に、研究所の心理師へ相談するよう提案した。
その結果、母親は研究所へ相談、心理師にペアレント・トレーニングをうけることになった。
約4ヵ月のペアレント・トレーニングの結果、母親の感想として「約束が守れるようになった」「会話が続くようになった」「同じ年のお友達と遊んだということを聞くようになって安心した」と話した。
約束に関しては、先日、電車に乗って出かける際に「電車の中では静かにしようね」と約束したという。
いつもなら退屈になると騒いだりするため、今回の電車も母親は覚悟していたが、お約束を守ることができ、退屈になっても座席の上で窓の外を見て静かに過ごすことができたという。
2つめの会話が続くようになったことに関しては、ペアレント・トレーニングを始めて以降、母親が丁寧に児へ関わるようになり言語発達が進んだという。
言語が発達したことで児の表現の幅が広がり、母親との会話が続くようになったとのこと。
3つめのお友達と遊んだという報告に関しては、言語発達が進んだことで、園での生活を自分の口で母親に簡単に報告できるようになった。
また、他児とも簡単にコミュニケーションを行うことができるようになり、相互の遊びが続くようになった。
●ペアレント・トレーニングでは、児の行動を「増やしたい行動」「減らしたい行動」「やめてほしい行動」の3つに分類し捉えるように提案した。
●「増やしたい行動」に対しては、ほめるように提案した。ほめる際には決まったフレーズではなく、本児が理解できるような言葉で、いくつかの言いまわしを母親と心理師が協力して考えた。考え出したフレーズは紙にリストとして「ほめことばリスト」を作成し、いつでも言えるようにした。
●「減らしたい行動」に対しては、必要以上に叱責や注意をしないように提案した。その代わり、その行動に対してあまり反応せず(危険な行動以外)、その行動をやめたら、すぐさまほめるようにした。ここでも「ほめことばリスト」を活用した。
●「やめてほしい行動」に対しては、イエローカードやレッドカードといった視覚的に分かりやすいツールを使って児に伝えていった。また、タイムアウトを行い、適切な行動を強化していくことを行った。

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